フランス語の否定と日本語の禁止。
昨日書いた Life is but a dream. の but の用法についての話の続き。
昨日の引用元のサイトには
短縮・省略現象としては,ne butan > but の変化は,"negative cycle" として有名なフランス語の ne . . . pas > pas の変化とも類似する.pas は本来「一歩」 (pace) ほどの意味で,直接に否定の意味を担当していた ne と共起して否定を強める働きをしていたが,ne が弱まって失われた結果,pas それ自体が否定の意味を獲得してしまったものである(口語における Ce n'est pas possible.> C'est pas possible. の変化を参照).
僕は大学時代に第二外国語でフランス語を取っていたので「なるほど」と思いました。
フランス語は否定文を作る時、動詞を ne と pas で挟みます。ne は英語では not 、 pas は引用文にあるように pace に当たります。
つまり、Ce n'est pas possible. を逐語訳すると *It not is pace possible. (→ It is not possible. )となります(ce は it 、 est は is に当たります)。
歴史的には、ラテン語の時代には否定辞 non だけで否定文を作ることができました。しかし、ラテン語からロマンス諸語に派生して行く過程で、否定辞と共に「小さいもの」を一緒に並べて否定を強調する用法ができたそうです。なので ne 〜 pas は本来は「一歩も〜ない」くらいの表現だったのではないしょうか。小さいものと並べる否定は、フランス語には他にも ne 〜 point ( point は「点」)がありますし、スイスで話されるロマンシュ語では「口」を表す語に由来する buc が否定辞として使われるようです。
ただ、 ne 〜 pas があまりに一般的になり過ぎると、 pas が「一歩」という意味だと誰も意識しなくなります。その結果、引用文の最後にあるように、口語では本来の否定辞である ne が省略されるようになりました。
逐語訳すると本当に変な言い方です。*It is pace possible. で「それはありえない」を表すのですから。
以上は大学時代に授業や分厚い本を読んで勉強した内容。間違ってはいないと思います。
以下は、ただの僕の考察というか推測。しかも日本語学をやったことがあるわけでもありません。信頼性は担保できません。
大学時代に ne 〜 pas を習った時から、古文の「な〜そ」の禁止みたいだなぁと思っていました。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ(梅の花よ、東の風が吹いたら匂いを届けてくれ。主人である私がいなくても春を忘れるなよ)」
菅原道真が大宰府に左遷される際、気に入っていた梅の木に贈ったと伝えられる歌です。太字の部分が「な+動詞+そ」で「〜するな」という意味になっています。
最初、現代日本語の禁止を表す「(〜する)な」はこれに由来しているのかなと思いましたが、そうではなさそう。
で、辞書の終助詞「そ」のページを見ているとこんな記述がありました。
②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。
[出典] 今昔物語集 二九・二八
「何事なりとも隠しそ」
[訳] どんなことでも隠さないでくれ。
また、副詞の「な」にはこんな説明が書かれています。
①…(する)な。…(してくれる)な。▽すぐ下の動詞の表す動作を禁止する意を表す。
[出典] 万葉集 三〇三二「君があたり見つつも居(を)らむ生駒山(いこまやま)雲なたなびき雨は降るとも」
[訳] ⇒きみがあたり…。◇上代語。
②〔終助詞「そ」と呼応した「な…そ」の形で〕…(し)てくれるな。▽終助詞「な」に比してもの柔らかで、あつらえに近い禁止の意を表す。[出典] 古今集 春上
「春日野(かすがの)は今日(けふ)はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり」
[訳] ⇒かすがのは…。
....
[参考]
①②とも、上代から用いられているが、②は中古末期以降、「な」が省略され、「そ」のみで禁止を表す用法も見られる。
①の用法にわざわざ上代語と書いているということは古い時代にしか使われていなかったということなのでしょう。また、[参考]の部分からは、「動詞+そ」は新しい形で、古い時代にはそれでは禁止を表さなかった(表せなかった?)と読むことができます。
ここから考えると
- 「な+動詞」だけで禁止を表すことができたが、「な+動詞+そ」の形もあった。
- やがて前者の言い方が廃れ、「な+動詞+そ」が主流になった。
- そして最終的には「な」を省略した「動詞+そ」だけで禁止を表すことができるようになった
繰り返しますが、僕は日本語学者ではないのであくまで素人の考えです。しかし、もしもそうだとしたら、まさに ne 〜 pas の変遷と同じではないでしょうか。