数々の不倫報道の度に思うこと。
昨今の東出昌大や渡部健、少し古いですがベッキーの「ゲス不倫」など、、、芸能人の不倫がよく取沙汰されます。そうした不倫報道の度に僕は思うのです。
「そんなに騒ぎ立てるほど悪いことか?」と。
初めに断っておきますが、僕は別に不倫を肯定するつもりも否定するつもりもありません。その上で、上記のように思う理由を述べたいと思います。
不倫で逮捕されない
まず、ご存知の通り、不倫をしても逮捕はされません。不貞行為は民法に規定されているので、違法ではありますが、刑法ではないので捕まらないのです。
違法ではあるけど逮捕されないのは、他にも著作権の侵害や、一昔前の違法ダウンロードもそうです。違法ダウンロードは親告罪なので、現在でも著作権者からの訴えがなければ逮捕されません。
一方、車やバイクに乗る人は、一度は切符を切られたことがある人が大半でしょう。一発免停であれば裁判所に呼び出されて罰金刑・前科者となりますし、信号無視など軽微な反則でも、反則金の支払いを無視すれば裁判所に呼ばれる可能性があります。この場合も裁判所に呼び出されたら罰金刑・前科者です。
刑事裁判にかけられるかどうかという点で言えば、不倫より交通違反の方がよほど重いと感じませんか?
別に何も困らない
次に、その著名人が不倫をして、あなた自身に何か影響がありましたか?
その人の配偶者が怒るのは当然ですし、その人をCM起用している会社が怒るのも分かります。また、結婚式を挙げた教会や神社の聖職者が怒るのもいいでしょう。神に対して嘘を吐いたのですから。
では、あなたは何か損害を被りましたか?例えば僕は、テレビをあまり見ないので役者は詳しくありませんが、音楽ならB'zが好きです。でも、稲葉浩志が不倫をしても僕には何の被害もありません。ファンとしては異端派かもしれませんが、曲を聴いているのであって歌手を崇拝しているわけではないので、別に曲の価値が変わることもありません。
「芸人」は聖人じゃない
最後に、少し変な話ですが、、、。そもそも近世までは芸の道に生きる人たちは堅気であることを捨てていました。「芸人」に常識を求めること自体がおかしいのではないかと僕は思っています。だから、余談ですが、僕は文化人ヅラして自分を高尚な人間だと思っている漫才師が大嫌いです。
それに、現代「芸能人」として扱われる役者・漫才師・歌手などは、どれも不倫は自らの芸の足しになるはずです。不倫をしたことがない役者が、どうして不倫に溺れ悩む役を演じられましょうか。
あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい
僕はキリスト教徒ではありませんが、 道徳として一部共感するものもあります。
例えば有名な言葉である「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。これは、たまたまこの記事のテーマと同じで、姦通の罪に問われて殺されようとしている女についてイエスが言った言葉だとされています。
著名人が違法行為を行ったと報道されると色々な人がその著名人を攻撃しますが、冷静に考えれば攻撃することの無意味さが分かるはずです。しかるべき機関より、事の大小に応じた罰を、その著名人は受けるのです。それ以上我々がグチグチ言って何の意味があるのでしょうか?
「その著名人は不倫で人を傷付けたのだから、自分は正義のために彼ないし彼女を攻撃するのだ」と考えている人は、自分だって人生の中で散々誰かを傷つけてきたことを自覚するべきです。
余談ですが
少し話がそれますが、僕は下記リンク先のサイトが好きで、一時記事を読み漁っていたことがありました。その中で、不倫などの謝罪会見に関する考察について述べられた記事を見つけました。
この記事の筆者は、芸能人による意味のない謝罪会見を、御霊信仰によるものだと説明されています。
御霊信仰は日本人が古来より潜在的に持っていたものですが、平安時代に特に顕著になり、日本中で御霊会が行われるようになりました。御霊信仰は、体制に不満を抱いていた貴族が密教僧と結託して全国に広められたものだそうです。下層民たちは、怨念を持って死んだ霊を鎮め、自分たちに災いをもたらさないようにと、各地で祭りを行いました。この祭りは農民の憂さ晴らしであると同時に、反政府的なパワーも秘めていました。しかし、目的が目的なので朝廷が弾圧することもできず、最終的には民衆の行っていた祭りを取り込み、朝廷自身が御霊会を行うようにまでなったようです。
謝罪会見が御霊信仰によるものなら、やらかした著名人を国民が一丸となりよってたかって攻撃するのは、さながら現代の御霊会ではないでしょうか。