生まれ育った言葉は大切に。
先日、知り合いの若い上海人と話していた時、その人が言っていたこと。
「上海では、みんな外では普通話(中国の共通語)しか話さない。上海語は家の中だけで使う言葉。自分は、上海語は理解はできるが話すことはできない」
現在中国の人口は約14億人だそうです。これだけ人口がいれば、「中国語」がこの世から消滅してしまうことはないでしょう。しかし、この人が言うことが本当なら、上海語は50年もすれば母語として流暢に話せる人はほとんどいなくなってしまいます。
今日はそんな話。
日本政府は明治維新後、国内で使われている言葉を一つに統一しようとした時期がありました。よく言われる話ですが、津軽出身者と薩摩出身者では同じ日本人なのに言葉が違いすぎていて会話が成立しない。このような状態は「文明国」として恥ずべきものだと当時の政府は考えたそうです。
ところで、以前何かで読んだのですが、江戸時代であってもある程度の階級の人同士であれば、他地域の出身者とも会話はできたそうです。教養として狂言や書き言葉を学んでいるのでその言葉で話していたそうです。
ただ、民衆全員にそんな知識があるわけではないので、国民が話すべき「正しい日本語」を作りました。それが標準語です。
そうやって作られた「正しい日本語」である標準語は、戦後は共通語に名前を変えながら、学校教育やラジオ、テレビ、インターネットを通して日本中の伝統方言を駆逐しつつあります。
例えば、僕は生まれてから30年弱ずっと大阪府に住んでいますが、年寄り以外で「さかい(〜だから)」を使っている人に会ったことがありません。また、近畿方言の典型とされる「おおきに」も、ある程度の年齢層から下で日常的に使っている人はほとんどいないと思います。
標準語に駆逐されつつあるのは「地方」の言葉だけではありません。東京都の伝統方言にも標準語によって消えつつあるものはあります。
多摩近辺の伝統方言に「かがみっちょ」「かまぎっちょ」という言葉があります。それぞれトカゲとカマキリを表す言葉です(ひっくり返る地域もあるそう)。これらの言葉を使っている若年層はどれだけいるのでしょうか。
江戸っ子言葉の典型の、「ひ」と「し」をごっちゃにしてしまう人も、若年層にはもはやほとんどいない、、、と思うのですがどうなんでしょう?
余談ですが近畿方言でもサ行がハ行に変化することが多々あり、かく言う僕もよく「布団をしく」なのか「布団をひく」なのか分からなくなります。
サ行がハ行に変化するのは日本語に限ったことではありません。インダス川は昔Sindhuと呼ばれていましたが、地域によってはHinduとも発音されました。このHinduが西洋に伝わる過程でHが落ちてIndusになり、一方Sindhuは中国語で音訳され身毒と表記されました。また、Sindhuはチベットを経由する際SがTに変化し、その発音を反映した表記・呼称が天竺なのです。
上記の中国語と同じように、日本も人口は1億2000万人ほどいるので、すぐに日本語が消滅することはないでしょう。しかし、個々の地方を見ていけば、危機に瀕している方言はたくさんあります。また、方言ではなくまったくの別言語ですが、アイヌ語はもはや風前の灯にまでなってしまっています。
方言に対する態度では、フランスはかなり強硬です。
僕たち外国人が「フランス語」と言う時、普通パリの言葉を指します。しかし厳密に言えば、この言語はフランス北部で話されているオイル語のパリ方言(あるいは地方言語)です。
一方で、フランス南部ではオック語という言語が話されています。オイル語もオック語も民衆ラテン語から派生した言語なので、大きく見れば兄弟関係にある方言同士なのですが、方言と呼ぶには差が大きすぎます。オック語はパリの言葉よりスペインの言葉の方が近いそうです。また、オイル語からオック語が派生したわけでも、その逆でもありません。
しかしながらフランス政府はオック語を言語と認めず、あくまでもフランス語の一方言だと扱っていて、オック語話者は減る一方。オック語圏では、どうやってオック語を後世に伝えていくかが課題だそうです。これはもはや言語の浄化ではないでしょうか。
同じことは日本でも起こっています。
沖縄県はもともと別の国であり、琉球語という言語を持っていました。日本語と同系統の言葉ですが、奈良時代より前に日本語と琉球語は分かれたと考えられています。この琉球語も、戦前から「方言札」により取り締まられ、日本語と混ざり、消えつつある言語となってしまっています。
方言か言語かという議論は政治的な考えも入ってくるので難しいところですが、どちらにせよ、伝統的な言葉を大切にしなければ、日本中どこに行っても誰もが均一な話し方しかしない、面白くない国になってしまう気がしてなりません。