和歌山は奈良時代から辺境扱いされていた。
僕は宗教や思想に興味があります。
そう言うと、新興宗教にハマっているように思われてしまいそうですが、厳密に言うと、宗教の成り立ちや思想史に興味があります。たとえばインドで生まれた仏教が、どのように変異しながら日本に定着したのか。あるいは、古代の神祇信仰がいかにして現代のような系統だった神道になったのか。本屋でそういった書籍を見つけるたびに買い漁って勉強しています。
本筋から逸れますが、ずっと気になっているのが、輪廻転生思想が根本にあるヒンドゥー教徒の多いインドでは、幽霊が「存在」しているのかどうか。バラモン教では、人は死後火葬された煙と共に天に昇り、その後雨と一緒に地上に降りて生命に生まれ変わると考えられていました。ヒンドゥー教もこの考えを引き継いでいるようです。それならば魂はどんどん転生していくので幽霊など存在しようがないと思うのですが、どうなんでしょうか?
本題に戻ります。
岩波新書の『神仏習合』という本を読んでいる中で、こんな記述を見つけました。
武蔵・下総・安房・常陸・若狭・丹後・播磨・安芸・紀伊・阿波など遠隔地の神社への御幣は、これら諸国の祝部たちが神祇官に受け取りに来て、本国の神に供えねばならないのに、最近になって、取りに来ないようになった。このため神祇官の倉庫にはうずたかくこれらの御幣が積み上げられたままである。しかし、これは、彼らの国が遠方にあり、上洛下国する旅が大変という正当な理由によるものであるから、今後は、朝廷と諸国を往還する貢調・大帳等の使者に託して各々の国に届けるようにしたい。ついては各国の国守はそれを慎んで受け取り、国内諸社の神社と祝部たちに班与せよ。
上記は、奈良時代の朝廷が出した御触れの要約。本来は地方の役人が上京しないといけないのに最近サボっていて、でも朝廷はそれらが遠隔地だからと大目に見ているわけです。
奈良時代の話なので都は大和国にあります。たしかに奈良県から武蔵や安房まで行くのは現代の僕たちからしても遠いので、当時ならなおさら、、、ん?紀伊?
ご存知の通り紀伊国とは今の和歌山県。播磨(兵庫県西部)や若狭(福井県南部)だって畿内のすぐ近くですが、紀伊は大和の隣です。もっとも、平城京は大和国の最北部に位置するので、紀伊、特に南紀に直接入ろうと思うと修験者や魑魅魍魎が跋扈するディープサウスを越えないといけません。奈良のディープサウスは、21世紀の現代においても台風が来ると国道が崩れて機能不全に陥る土地。
下の白地図は、現代の府県境ですが、奈良県に関してはほぼそのまま大和国の形だと思います。赤丸を付けているところが平城京付近、現在の奈良市中心部あたりです。
それでは緑色の部分は何なんだというと、奈良県南部としてまとめられている自治体です。つまり、奈良県全体の半分以上が「南部」なのです。緑色の地域全体の人口がだいたい37000人弱。奈良県の人口が130万人強なので、面積は半分以上あるのに人口は全体の3%弱。
もちろんこの人口は現代のものですが、現代と古代では状況が異なります。古代にはアスファルト舗装の国道など走っていません。
日本一長い路線バスとして有名な奈良交通の八木新宮線。端から端まで166.9㎞、所要時間6時間40分。この路線も奈良県よりディープサウスを経由して南紀に行くものです。現代においてもやはり奈良県から和歌山県に入るのは大変なことなのです。
それでも、、、それでも、都のある国の隣なのに遠隔地扱いされる和歌山って、、、